慶應義塾福沢研究センターでは、福沢諭吉に関する歴史資料、慶應義塾及びその関係者に関する歴史資料を収集し、それらを利用した日本近代史の研究に取り組んでいます。このブログでは、福沢・慶應義塾に関連する所蔵歴史資料の新たな収蔵、寄贈などがあったときなどもご紹介して参ります。


福沢宗家から寄贈された旧蔵資料中でも最大級の、この乳母車。慶応3年(1867)、2度目の渡米(3度目の海外渡航)の際、福沢が子供への御土産として持ち帰ったものです。日本初の乳母車といわれています。


この乳母車が「人力車」発明のきっかけになったという説があります。たしかに、その形といい、色合いといい、人力車によく似ています。しかし、研究によると人力車そのものの起源とは関係がないようです。慶應義塾出身の内田勘左衛門が、この乳母車をたびたび借りて、分解するなど研究を重ね、人力車に幌(ほろ)を加えるなどの改良を行なったそうで、このことが人力車の起源と、話が大きく伝わってしまっているようです。


発明のきっかけではないとしても、我々のイメージする人力車の直接のご先祖の一つであることは間違いないといえましょう。(都)87ic0105fs.jpg