大阪在住の塾員を中心に組織されている大阪慶應倶楽部より、小泉信三筆「福沢諭吉誕生地」碑文(題字)原稿が寄贈されました。今後は当センターで保管されます。


IMG_2469s.jpgこの原稿から字を取って刻まれた碑は、現在大阪堂島にある朝日放送本社脇の堂島川沿いに建てられています。碑の写真(左)と見比べますと、特徴のある「諭」の字(月の部分が目に見える)などが一致します。


現在の碑は昭和29(1954)年11月に建てられたものですが、最初に建てられたのは昭和4年のこと。この時は犬養毅の筆で「福沢先生誕生地」と記した銅製の碑でした。ところが、戦時中の金属供出で失われてしまいます。その苦い経験から、戦後は石製で再建されたわけです。それも、当初は三田の図書館の八角塔を模した形が案として挙がったものの、当時この場所が阪大病院の敷地内で、病院に石塔はよろしくない(お墓を連想させる)という声が出て、設計がやりなおされたとのこと。現在の碑は、平和への願いを込め、後ろから見るとハトの形をしています。設計者は中島雅二氏という東京美術大学出身の若手彫刻家、と記録されています。


R0010710s.jpg今回の原稿には鉛筆の下書きが残っており、書が苦手で、しかも戦後は戦災の後遺症で手がやや不自由になった小泉信三の苦心の跡が見えます。当時の資料を見ると、「小泉先生は仲々字を書いて頂けなかったのですが、やっと書いて頂くことに成功した」(『大阪慶應倶楽部会報』第3号)、「強引に承諾していただいた。しかし奥さんのお話によると、当分の間、小泉さんの機嫌が悪くて困られたそうだ」(『塾友』昭和30年新年号)などと、山川迪吉氏(同倶楽部副会長)の苦心談が掲載されています。


7月16日に大阪で行われる福沢諭吉生誕175年を記念するイベントで展示される予定です。(都)