理工学部の前身である藤原工業大学が開校して75年に当たる本年、理工学部では記念事業が進められています。3月1日午前、日吉キャンパス塾生会館脇に「藤原工業大学開校の地記念碑」が除幕されました。

藤原工大は、塾員藤原銀次郎氏により昭和14年に創立されました。開校時は別大学で、その後慶應に寄付されたのですが、開校当時からこの大学は慶應義塾のキャンパス内にあったので、記念碑が塾生会館前に建ったわけです。なぜそういうことになったのでしょうか?気になる方は碑文をご覧ください。↓

記念碑には藤原工大の校章である藤のマークがあしらわれています。同校の校旗は、慶應の三色旗の真ん中に、この藤のマークをあしらったものでした。

同校は、何回か卒業生を送り出してから慶應に寄付されることになっていましたが、戦争中、国が大学の整理縮小を推し進めたため、(潰されてしまわないように)予定を前倒しし、昭和19年に慶應義塾大学工学部となりました。しかし昭和20年の空襲で日吉の校舎の多くを焼失。戦後は仮校舎を転々とし、長らく小金井にありましたが、昭和46~7年に矢上キャンパスに移転しました。このことを当時は「日吉復帰」と呼んでいたことからも分かるように、藤原工大→工学部の歴史は、戦後も長く戦争の影響を受けた苦難の歴史でした。
